打ち上げ

当然打ち上げがあるので、モ〜モ〜パラダイス 高田馬場牧場ですき焼きを食べて来た。1100円であった。*1料理自体は悪くなかったのだが、一つ気になったことがある。それは自分は何とつまらない人間なのだろうかということである。
くじ引きで席替えをしたりするのだが、話題が思いつかない。向こうのテーブルはやたら盛り上がっているのにこちらはさっぱりという状況である。時節柄、ワールドカップの話題が出せれば良かったのかもしれないが、それに関しては月曜日の日本対オーストラリア戦の結果を予想して賭けをやった位で、全く興味がないし、選手の名前だとかどこどこの国が勝っただの負けただの一切分からない。ほとんどテレビを見ない習慣も当然影響しているのだろうが、そもそもサッカー観戦という行為自体に魅力を感じないのである。数時間もテレビの前に張りついて結果を気にしつつ目の前で繰り広げられる戦いに熱い声援を送る。一体何が面白いのか分からない。
これだから僕のような世間一般から外れた人間は、祭をただ馬鹿みたいに楽しむことが出来ない程、おかしくなっているのだと揶揄されそうであるが、興味がないから興味がないのである。つまらないものはつまらない。それ以上でも以下でもない。ただそれだけである。無理矢理興味を持とうすることは「興味」ではなく、ただ無理矢理自分の関心を対象に向けたり、周囲にあわせようとしているだけのことだ。嗚呼、いっそワールドカップなんてなくなってしまえば良いのに。
世の中では円滑な意志疎通を図るために、たとえ興味がなくとも世間一般で流行しているとされているものについては知っていなければならない。このことは接客業において特に顕著である。どうでもいいプロ野球Jリーグの試合の結果を毎日チェックしたり、お笑い芸人が出ているテレビ番組や最近売れ筋の音楽を紹介する番組を見ることを習慣としている、その種の職業の人は多いはずである。その理論からすれば、僕はそのような努力をするべきである。しかしながら、先述のようにそれを嫌がり拒絶する自分がいることも確かである。
英語の諺に"All work and no play makes Jack a dull boy."というものがある。日本語では「良く遊び良く学べ。」と訳される。僕は自分の今までの人生がほとんど勉強に費されてきたとは到底思えないが、かと言ってよく遊んだのかと言われると一人でテレビを見ていることも多かったように思われる。また、いわゆる「遊び」というものが僕には分からない。街で遊ぶの「遊ぶ」である。一般には買い物やカラオケ、遊園地などを含むのだろうが、ほとんど経験がないといって良い。買い物はわざわざ人を伴って買いにいく必要性を感じないし、カラオケや遊園地の類は数えられる位しか経験がない。こういった意味では、その諺は的を射ているようだ。
今は受験勉強で忙しいから、受験にとっては不必要な知識を蓄積したり、そのような経験をすることは強く勧められることではない。しかし、このままいけば、もし、大学生になって東京から離れることがあれば、同級生の中で連絡を取り合う人はやがては0になってしまうだろう。わざわざつまらない人間と好んで付き合おうとする人があろうか。今後何らかの対策を講じなければならない。ある意味難しい数学の問題を解くことよりも難しいかもしれない。本来、人格形成は人生の中で最も難しい課題の一つであるからだ。ぐだぐだ勉強もせずに書いてきたが、結局毎日向上心をもって生きる他無いのかもしれない。今日、日々の努力は報われると分かったように。

*1:ここに書かなければもう忘れ去られてしまうかもしれないのだが、本来は10%引きのクーポンを利用しても1500円程度である。それが1100円となったのは担任から10000円を賜わったがためである。