豪華な昼食

サービス券

今日は今日の画像*1にあるようにさぬき小町うどん 赤坂一ツ木通り店で配付していたサービス券の使用期限であり、9枚ある券をそのまま新聞紙や広告などと一緒に回収してもらって、大して質の良くないトイレットペーパーに交換してもらうというのは、あまりにももったいないと感じたのである。そもそも、このサービス券は3枚で100円てんぷら、5枚でこまちうどん(小)、10枚でカレーライス+こまちうどん(小)と引き換えることが出来るというものである。今日は3枚を今日が誕生日だとか言う友人一人にやり、5枚でこまちうどん(小)と引き換えた。すなわち1枚余ってしまったのである。実は9枚たまるまでに、一度だけだが、近くの席にすわっていた見知らぬ優しげなおじさんが1枚くれたことがあったのである。「あまりにも」という修飾語句は単に1枚余ってしまってもう捨てるしかないサービス券1枚のことだけでなく、かの心優しい人の親切がある意味では無駄になってしまったということも含有しているのである。本人のあの場における目的、すなわちもう配付終了までに3枚すらたまることは無いだろうから、この少年にやっても良いだろうという気持ち、は達せられたわけであるが、なお僕は残念に思わずにはいられない。他人への親切にしろ、日々励む勉学にしろ、日々改善に努力する自分自身にしろ、報われることの方が少ないのがこの世の常であるのだなぁ。
ところでサービス券によって普段と同じ金額でより多くのものが食べられるようになったので、カレーライス(小)とかぼちゃのてんぷらを追加した。ついでに150円のてんぷらをかの友人におごってやった。誕生日など大した日ではないにしろ、全く他人から気を掛けられないのは寂しいものである。物の贈答のみで人間関係が構成されているわけではないにしろ、多少の気持ちは伝えられただろう。
心に思っているだけで気持ちが伝わるなどというのは幻想である。家族間ですらうまくいかないというのに他人間ではなおさらだ。最近はある意味では他人との接触を拒もうとしている自分に気付かされることがある。或いは、無用なことを避けるがためになるべく踏み込まないように、深入りしないようにしている自分がいる。意志疎通が成り立つか成り立たないかの瀬戸際である。今日は改めて人との関わりを意識せずにはいられなかった。