河合塾第2回全統マーク模試:自己採点結果

英語: 187/200点
リスニング: 50/50点
国語: 173/200点
日本史: 96/100点
政治経済: 79/100点
数学IA: 55/100点
数学IIB: 49/100点
地学: 64/100点

本当は自分の結果に言い訳しても何の意味もないのだが、一つだけ言い訳しておきたい。数IIBで解答欄を間違えたのである。積分の計算が面倒そうだからと、飛ばして数列に移ったのがいけなかった。回答用紙は裏表あるから、数列の解答欄は裏からだと勝手に思ってしまいったのである。まあ、その間違いがなくとも67点にしかならないから、どちらにしろ、悪い点数であることに変わりはない。このままだと確実に落ちるよ。落ちたら、今日の部分を引用して、誰かひっそりとでいいから笑ってやって下さい。
そういえば、「ブログで点数をさらすのは止めたらどうだ」という提案*1をされたことがあるのだが、そう思う人は見なければ良いだけの話である。現在このインターネットを媒介とした世界には無数の情報があふれている。必要な情報を選び出すというのは利用する立場の人間に要求されている至極当たり前のことだ。この仮想現実とでも呼ぶべき*2世界では、
現実世界と違って対象から目をそらし見なかったふりをすることは容易である。入ってくる情報を全て活用する必要もなければ、自分が持っている全ての情報を発信する必要もない。全ては任意である。したがって、かの提案は無意味である。自分で入手した情報の処理さえ出来ないということは、昨今現実社会において単なる学生にさえも求められている、情報を主体的に利用する能力を欠いていると言わざるを得ないだろう。個人の能力や会話や文章を書くときに用いるこの言葉と同様に、情報をどのように使うかは個人に委ねられているのである。良くも悪くも現在はそういった自由が存在しているのである。
危うく書き忘れるところだったが、こうして点数をここに載せている理由には、自分への戒めという側面や単なる記録としての側面がある。本日のように載せるのは恥ずかしい点数をとった場合には、自慢出来るような点数をとれば良いだけではないかと自分に言い聞かせるのである。そういえば、「ブログで点数を自慢するのは止めたらどうだ」という提案もあったかもしれない。しかし、先ほどの情報のフィルタリングのことは別にして、「なんだよ、この点数は。こんな低い点数を載せているんじゃない。僕は君よりXX点高いぞ。笑っちゃうね。」とでも思えるような点数を取れば良いだけの話である。或いは、好意的に捉えれば良い。最近は他人の自慢に対して自らの不満を表に、或いは心の中で表すことしか出来ない人が多いのかもしれないが、他人の自慢をただ気分悪く聞き流すだけでは、1銭の価値にもならない。インターネットでは情報のフィルタリングが可能だが、現実世界ではそうもいかないことが多々あるからこそ、どうせ気分が悪くなるなら、自らの成長の糧にしてしまう方がよっぽど有益なのではないか。
最後にこれを書いている本人はどうなのだろうかという疑問がわくかもしれない。自分にも直すべき点があるからこそこうして書いているのである。本当に完成した人間というものが、わざわざ自分の考えをこう汚くもまとめあげ、公開するだろうか。そんな必要は無いだろう。もう既によく理解していることをわざわざ書く必要性はどこにもない。高校生があいうえお表、五十音図を壁に貼ったり、コンピューターに慣れ親しんだ人やタイピストがいちいちキーボードの刻印を確認したり、Opera使用歴の長い人がマウスジェスチャーのヘルプを身ながら操作しないのと一緒である。

*1:建設的に捉えれば。

*2:しかしながら、最近のブログやSNSは現実と密接に関連しているため、この呼び方は不適切かもしれない。